街歩きガイド(寺社めぐり編)

久里浜には由緒あるお寺や神社がたくさんあります。三浦半島最大級の河川である平作川の下流に位置する久里浜地域には古くから集落があったと考えられ、そこで暮らす人々のよりどころとなっていました。
御朱印をいただける寺社もたくさんあります。神仏へ参拝した証であり、お札等と同様、大切にされています。また、三途の河を渡る際、御朱印がパスポート代わりとなり、極楽浄土への旅立ちの救いとなるという信仰もあります。
御朱印代は寺社により異なりますが、多くは300円ほどです。御朱印帳を用意して、巡礼に出かけましょう!



久里浜・神明町

住吉神社[すみよしじんじゃ]

住吉神社[すみよしじんじゃ] 約1,000年前の創建とされるが、江戸時代の火災により、その由緒は不明となった。栗浜大明神といわれた。祭神は中筒男命。1180年(治承4年)衣笠合戦の際、三浦一族が戦勝祈願をした。その他に、1182年(寿永元年)源頼家誕生を祝い神馬を奉納したこと、1185年(元歴2年)源頼朝が北条政子と参拝したことなどが吾妻鏡に書かれている。 例年7月には「夏季大祭」がおこなわれる。

傳福寺[でんぷくじ]

傳福寺[でんぷくじ] 明星山 傳福寺(伝福寺)。浄土宗。1533年(天文2年)の創建。本尊は阿弥陀三尊。
本堂右脇の大きな石造り観音像の他、境内には、本堂に向かって右側に太平洋戦争戦死者の慰霊碑、左側に地蔵堂があり、中の半跏像は高さ124cmである。また、墓地の中に地蔵が5体祀られており、中央の1体は「見返り地蔵」といわれ、慈悲の心を表している。

薬師堂跡[やくしどうあと]

薬師堂跡[やくしどうあと] この6体の墓碑は、1991年(平成3年)横須賀市教育委員会の調査により発見された。右から2番目の角柱に「薬厳寺」と彫られていることから、この辺りに薬師寺堂があったことが推測されている。薬師堂の本尊「木造薬師如来立像」は、傳福寺に安置されている。

久里浜天神社[くりはまてんじんしゃ]

久里浜天神社[くりはまてんじんしゃ] 主祭神は菅原道真公。1660年(万治3年)、砂村新左衛門が内川新田開拓工事の加護を願い、崇敬していた福島天満宮(大阪)の祭神・菅原道真の分霊を勧請し、祀ったのが創建。社殿の造営は、1779年(安永8年)と1893年(明治26年)と記録がある。2001年(平成13年)新たに本殿・拝殿・手水舎を造営。その他、境内には2003年(平成15年)建立された「牛乗り天神像」、「安産子宝いぬ」などがある。 例年8月には「例大祭」がおこなわれる。

正業寺[しょうごうじ]

正業寺[しょうごうじ] 1566年(永禄9年)に没したといわれる僧・入誉元清が建立したが、再度に渡り荒廃し、1698年(元禄11年)、砂村新左衛門の甥が現在の場所に移築している。浄土宗で、本尊は木造の阿弥陀三尊像。境内には1846年(弘化3年)に書かれた「村規定御請書」の他、貴重な棟札や鐘、砂村新左衛門夫妻の墓もある。毎年12月に内川新田開拓の偉業を称え、「砂村新左衛門祭」が開催されている。

八幡神社[はちまんじんじゃ/やはたじんじゃ]

八幡神社[はちまんじんじゃ/やはたじんじゃ] 720年(養老4年)創建といわれる。祭神は応神天皇。武家に厚く信仰されており、徳川家康から3石の社領を寄進され、以後も代々の将軍から12枚の御朱印状を受けている。拝殿正面の社名額の文字は、太政大臣・三条実美の筆。天井の竜の絵は、八幡村の明主・文人の長島尚賢、号雪操が描いたものである。 例年6月と12月には「茅の輪くぐり」が、7月には「八雲祭」がおこなわれる。

長安寺[ちょうあんじ]

長安寺[ちょうあんじ] 1533年(天文2年)、鎌倉光明寺の19世然誉により開山。本尊は阿弥陀三尊像。境内右側には不動堂があり、久村にあったとされる丸山不動明王像が安置されており、左側には「火伏せ不動」と呼ばれる石造りの不動明王坐像がある。「火伏せ不動」は、明治23年、久比里坂を開削した峯島茂兵衛の依頼により製作され、当初久比里坂におかれたが、地震の被害により、現在の場所に移され、石の覆堂が造られた。



佐原・久村

慈眼院 茅山貝塚[じげんいん かやまかいづか]

慈眼院 茅山貝塚[じげんいん かやまかいづか] 慈眼院
普門山慈眼院。日蓮宗。1592年(文禄元年)、漁師が海中から引き揚げた観音像が、三浦17番として祭られている。高台にあり、内川を一望できる絶景ポイントでもある。「桜の寺」と呼ばれ、毎年4月に開かれる花まつりも有名。 例年1月には「水行(新年祈祷祭)」もおこなわれる。

茅山貝塚
慈眼院の裏にある神奈川県指定史跡。縄文時代の貝塚だが、縄目はなく、貝のすじ跡のある「茅山式土器」が発掘された。現在は畑となっているが、入り口に説明板がある。

等覚寺[とうがくじ]

等覚寺[とうがくじ] 1584年(天正12年)、佐原の正覚寺5世の日大上人が創建した日蓮宗の寺院。本尊は三宝本尊像。本堂の左手前にある観音堂には、木造観世音菩薩立像と木造金剛力士立像が安置されている。どちらも平安時代後期の作であり、市の重要文化財に指定されている。境内に咲く枝垂れ桜も有名である。

御滝神社 滝不動[みたきじんじゃ たきふどう]

御滝神社[みたきじんじゃ] 御滝神社
久村に豊作をもたらした湧水「御滝の名水」感謝し、一社を建て御滝権現として祀ったといわれるパワースポット。文治年間(1185-1189)の間に建立されたとの伝えがある。祭神は瀧口五郎盛定(藤原盛重の子で、白河天皇に仕えた)。
例年8月には「祭礼」がおこなわれる。

滝不動
湧水「御滝の名水」の傍らに立つ、高さ40cmほどの像。これが1806年(万延元年)の造立された「滝不動」である。

聖徳院[しょうとくいん]

聖徳院[しょうとくいん] 天明3年(1783)創建。太子山聖徳院。初めは曹洞宗であったが、日蓮宗に改宗。明治2年(1869)一度焼失し廃寺となったが、本尊の聖徳太子像は無事であった。この像は、元禄2年(1689)に千駄ヶ崎の海中から漁師が発見し、のちに佐原に安置したものと伝えられている。 例年2月には「節分祭」がおこなわれる。

正覚寺[しょうがくじ]

正覚寺[しょうがくじ] 1446年(文安3年)の創建。開山は、常勝寺2世の日珠上人。本尊は日蓮聖人、隣には加藤清正公の座像がある。清正公は熱心な日蓮宗の信者であったことから、日蓮宗の寺院には清正公を祀った寺院がある。本寺の清正公信仰は、江戸時代に盛んだったとされている。

御霊神社[ごりょうじんじゃ]

御霊神社[ごりょうじんじゃ] 創建は1151年(仁平元年)。祭神は、鎌倉建五郎景政。景政は、16歳で後三年の役で奥州征伐に出征した。この戦いで、左目を矢で刺されても戦ったことなど、その勇猛ぶりを称えられ、神として祭られている。 例年7月には「祭礼」がおこなわれる。

常勝寺[じょうしょうじ]

常勝寺[じょうしょうじ] 1321年(元享元年)、日蓮上人の孫弟子・摩訶一院日印上人がこの地を巡教し、大矢部村に草庵を営んだことが起源。その後、常勝坊日珠上人が高部山常泉寺を建立。1584年(天正12年)、本堂を佐原に移し、「寶泉山 常勝寺」となった。1881年(明治14年)の焼失、1984年(昭和59年)の高速道路工事による移転を経て、現在に至る。中でも、山門に掲げられた「寶泉山」の額は、ただ一つ焼け残った貴重なものである。



久比里

若宮神社[わかみやじんじゃ]

若宮神社[わかみやじんじゃ] 1531年(享録4年)、臼井惣左衛門が鎌倉の鶴岡若宮明神を奉戴して建立した。祭神は仁徳天皇。1983年(昭和58年)社殿は焼失し、1985年(昭和60年)新築されている。社殿の左側に、古い鳥居の一部や額が保存されている。境内にある石碑には神社の縁起について書かれており、その台座は日露戦争の際、旅順口閉塞船の弥彦丸に使用されたとされる。 例年7月には「例大祭」がおこなわれる。

宗円寺[そうえんじ]

宗円寺[そうえんじ] 1528年(享録元年)、臼井惣左衛門により開山。本尊は阿弥陀如来。境内には庚申塔の他、石造文化財としては珍しい両面地蔵が見られる。本堂では、阿弥陀如来三尊像の他、釈迦の涅槃図を鑑賞することができる。80歳で亡くなった釈迦を囲み、この世の全ての人間から動物までが嘆き悲しむ様子が描かれ、天上には釈迦の生母・摩耶夫人が迎えに来ている。



岩戸

熊野神社[くまのじんじゃ]

熊野神社[くまのじんじゃ] 1157年(保元2年)創建。祭神は、天照大神、応神天皇、大国主命の3神。衣笠城落城で炎上したが、1185年(文治元年)、佐原十郎義連が社殿を再造営した。その後、義連が会津に栄転し、里人は「氏神佐原神社」として崇敬したが、1682年~(寛永年間)社地「熊野森」から熊野三社大権現と称し、1930年(明治5年)に「熊野神社」に改称された。現在の社殿は、1980年(昭和55年)に再建されたものである。

満願寺[まんがんじ]

満願寺[まんがんじ] 満願寺 岩戸山。臨済宗で、佐原十郎義連の創建。正面に中島三郎助筆の松尾芭蕉句碑がある。本尊の木造観音菩薩像や地蔵菩薩像は、高さ200cm以上あり、鎌倉時代初期に造立したといわれ、国の重要文化財に指定されている。また観音堂の右隣には、佐原十郎義連の墓と伝わる五輪塔がある。毎年3月、「春の文化展」が開催され、地元の文化活動にも精力している。(収蔵庫拝観は要予約)